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★Live Report by webロックマガジン BEEAST★
2010/8/9






2019年10月30日水曜日

さようなら、ドクター田中

すかんちのドクター田中が亡くなった。

 最後まで、謎めいた雰囲気の浮世離れした男だった。
出会いは、すかんちデビュー直後くらいかな。
すかんちは、新しい価値観を持つロックのカッコよさを、世に広めた功績が大きいバンドであり、その一端を担っていたのは田中の存在だとも思う。


そしてLOVE MISSILEのファーストアルバムや、デビューライブのサポートメンバーとしても参加してくれた。

しばらく「涙のラストキッス」悲しくて思い出して演れないじゃないか(笑)
すかんちが売れなかったら、間違いなく正式メンバー要請してたな。


その後も一緒に会社やったり、新人バンドのプロデュースしたり
お互い、さして気の合うそぶりもないまま(笑)
何だかんだと関わってたな。


レコーディングに車で迎えに行くと、約束の時間に毎回寝てたり
(途中から前倒しの時間で対処したが効果なかった)

会社から、芸能界の先輩に電話で猛抗議して冷や冷やさせられたり
(これは彼の正義感によるもの故、咎めることなくほっといた)

突然音信不通になったかと思えば、何食わぬ顔で現れたり
(当初は心配もしたが、次第に慣れてきた)

迷惑エピソードには事欠かないけど、嫌にはならなかった。


それは、自分のことは面倒くさがるのに人の面倒見は人一倍良かったり、何事にも動じない飄々とした佇まいが好きだったのと
「田中の音楽センスは最高」というリスペクトがあったからと思う。
特にアレンジのクオリティや、ポップスにおける遊び心の表現は得るものが多かったよ。


鍵盤の腕は普通だったけど(笑)決して間違いのない卓越した音楽センスと、自身のこと含め物事を客観視出来る判断力を、いつも頼りにしてたよ。


最近は、お互い別のことをやってたから、あまり話す機会もなかったけど、
多岐に渡る事柄で田中の忌憚のない物言い、もっともっと聞きたかった。
昔のことで文句も言い合いたかった。寂しいじゃないか。


最後に

「田中は仕事仲間というより、本当の友達だったような気がするよ。間違ったこと言わない田中に、ダサい!と言われないような活動していきたいな。色々付き合ってくれて、本当にありがとう。とことんロックな男ドクター田中、さようなら」


青木秀樹