西城秀樹さんが亡くなった・・(以下一ファンの文章故に敬称略)あれ?影響を受けたはずの海外のロックスター、ジョン レノン、フレディ・マーキュリー、デヴィッド ボウイらが亡くなった時より、はるかに喪失感と悲しみを感じる。日本のスターだったから、身近に感じてしまってるのか?違うな、きっと生まれて初めて歌とスタイルで「心が躍る」感覚を教えてくれたのが、西城秀樹だったからだと自身で分析。
1970年代に入り、歌謡曲の世界に新たな風が吹いたのを、当時小学生だった自分は目の当たりにした。GSはリアルタイムではなく、ブームも短命だったため知らないまま、歌謡曲と言えば演歌やムード歌謡中心で大人の歌という感じだった。そこにスケールの大きなポップスを歌う、尾崎紀世彦が出現した。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、当時の最高権威であるレコード大賞を受賞し、このジャンルが市民権を得た年だった。当然、尾崎紀世彦の歌にも心躍らされたが、まだどこか大人の世界の話だった。尾崎紀世彦のお陰で、歌謡曲に興味を持った自分はテレビ、ラジオ、レコードで積極的に触れるようになった。
そして程なくして、西城秀樹が現れた。
西城秀樹の印象は細い・でかい・かっこいい、だった。だが野口五郎や郷ひろみほど人気は出ず・・。2曲目の「恋の約束」あたりから、メディア露出が増えた気がするが、まだマイナーな感じだった。
秘かに応援してた自分は、もどかしくもあった。5曲目の「情熱の嵐」でブレイクし、「ちぎれた愛」でレコード大賞歌唱賞まで受賞したのに、新御三家でただ一人紅白は落選。まだあのアクション過多なシャウト多用な歌い方は、NHKには認知されないのか? まぁいいや、年々かっこよくなるから自分は変わらず応援しようと思ってた矢先「薔薇の鎖」が発売された。マイクパフォーマンスもさることながら、グラマラスな衣装や楽曲、初期の西城秀樹の完成形を見て、これまで感じたことのない高揚感を覚えた自分は、あの時何かが変わった。
いつまでもファンでいちゃいかん、他人様をこういう気持ちにさせるような人間にならねば!と。
勿論、だからと言って、トランペッターを目指してたガキが、すぐさま具体的にどうこうは出来なかったが、漠然とあの時そう思ったのは確かだった。
その後の「ローラ」や「ヤングマン」等の大活躍は、西城秀樹のポテンシャルなら当然と思っていたので感慨深いものはなかった。
あの頃は西城秀樹やジュリー、1970年代のスターを見ていると、夢を見てる様な気分になれたものだ。クラスどころか学校にも近所にも絶対いない人達だから。
1980年代に入ると、アイドルも親近感重視の傾向になった気がする。新御三家はアイドルというカテゴリーのせいか、なかなか歌唱やエンタメスキルが認められなかった時代・・。
あれだけ活躍しながら、だれもレコード大賞を取れていないし、当時の風潮もどこかミーハー歌手という感じだったし。だけどリアルタイムで西城秀樹を始め、あの時代のスターを知ってる者が感じた、この上ないこの胸のときめきはいつまでも忘れられないだろう。
余談だが、ヒデキという有名人は西城秀樹以前は、東条英機と湯川秀樹だった。どこかお堅いイメージだったヒデキと言う名を、飛躍的にかっこいいイメージにしてくれた西城秀樹には、もういろいろ感謝しかない。心の底からありがとう!
そう言えばデヴィッド・ボウイが亡くなった時、レッツダンスしか知らない灯りがノリで「デヴィットボウイありがとう!」とツイートしたのとは重みが違う感謝の意である。
にしても寂しいな・・・。
青木秀樹